実務翻訳雑記帳

特許・技術・法務系の和英翻訳ノート

和漢英混淆

小学校からの英語教育には反対も多い。それよりも国語をしっかりやるべきという意見もある。しかしながら、国語の授業を増やせば国語力が向上するというものでもない。国文法を正面から勉強するよりも、英語学習を通じて、より切実に国文法を意識したりすることもある。

「これからは英語が重要だから学ぶべきだ」というよりも、圧倒的な英語の影響力を前に、国語がピジン英語化することを防ぐには、逆に、英語をきちんと学ぶしかないのかと思ったりもする。

そもそも「国語」というもの自体、長年の和漢混淆の成果でもある。端的に言い切れる漢語と、情緒豊かな和語を、様々なスピーチレベルに合わせて動的に配合できるまでに、和漢混淆が熟成してきている。貴重な文化遺産である。

改めて考えると、日本の正史を外国語の漢文で書くということ自体、凄まじいことだったと思う。そこから、かな文字大和言葉の文学との合流を経て、見事な和漢混淆を達成してきたわけだ。内容の面では、儒仏の思想との格闘を通じて、伝統的な神道を自覚的に発見してきた歴史がある。儒仏という鏡がなければ、伝統を自覚することもできなかっただろう。その全ての過程に言語が介在し、言語を通じて思想を錬成する一方で、言語も豊かに育ってきたわけだ。

さらに明治期には、西洋近代との対決があり、様々な専門分野の術語を、主として漢字二文字で翻訳して取り込むことで、公用語が英語になったり仏語になったりすることなく、日本語を成長させてきた。その成果、たとえば、電気、法律、科学などが、朝鮮語にも漢字二字の漢語として取り込まれた。また、魯迅などは、自覚的に日本の術語を用いて、現代中国語を作り上げてきたのだった。漢文の伝統の上に、日本式の漢語を用いて、言文一致の現代中国語を建設した。

こうして国民国家が生まれようとする時、その統合のために国語が生まれ、その生成過程において文学が生まれる。国語により文学が芽生え、文学が国語を成長させる。そして、国語がこなれて一人前になったところで、文学はピークを迎える。その後もサブカルチャーとして続くことは続くけれど、文化文明を牽引する本来の「文学」の寿命は意外に短い。作家達は、それに気づかぬふりをしているが、どこかで感じているはずだ。

日本語は、外来の文明と外国語との格闘を通じて、こうして円満に成長してきた。ところが、最近の圧倒的な英語の流入により、英語をそのままカタカナで使う例が度を超えて増えてきているように思えてならない。特に、特許英和翻訳などをしていると、カタカナで書かざるを得ないことが、悲しいほどに多い。術語の翻訳が追いついていない。

カタカナが冗長で無様に紙面を占領するぐらいなら、いっそのこと、英語をアルファベットのまま和文に混在させてしまった方がどれだけいいかと思ってしまう。それはそれで、日本語の一つの方向性であるとは思う。

しかしながら、ここで最後の抵抗を試みずにはいられない。新しい術語の翻訳の際には、なるべく漢語的表現を作ろうと頑張ることになる。しかしながら、既に定訳があれば、それを無視することもできず、無力さに打ちひしがれつつカタカナを多用する結果に終わる。毎度毎度惨敗である。

一方、中国語は、カタカナを多用するという解決策がないため、原則として全ての術語をなんとか漢字にしなければならない。つまり、術語の漢訳の努力を怠らず、経済発展とともに、その営為の積み重ねは膨大なものとなり、同じ漢字を使わせてもらっている日本語としても、無視できないものとなりつつある。

たとえば、特許翻訳の際に、顧客から支給される用語集が、日中英のトリリンガルであることもある。企業の実務上、日中英で用語管理をする必要があるのだろう。私の場合、中国語ができないので、その用語集の日英の部分のみを使うわけだけれど、中国語での漢字表現が参考になることもある。

漢字はそもそも大陸からの借り物ではある。それでも、明治の人々が西洋文明と格闘して積み重ねた術語の漢訳が、現代中国語建設に役立ったという側面もある。それなら、ここで魯迅に貸した借りを返してもらっても悪くないように思う。

つまり、各専門分野の英語翻訳者が、新しい術語の翻訳の際に、中国語での訳語を意識しつつ、日本語に取り入れて違和感がないものは、若干修正するなどしつつ、なるべく漢語的に英語を和訳するようにしたらどうだろうか。

和漢英合壁のトリリンガル用語集を各分野毎にパブリックドメインで育てることにより、和漢英混淆の美しい日本語を実現したい。日本語がピジン英語にならないようにするには、英語をさらに学ぶとともに、中国語の素養が重要になるように思う。